半畳縁無し畳の下ごしらえの写真です。東京の下町で生まれた仕事で猫も杓子も琉球畳、琉球畳と言われるので敢えて東京畳と言いましょう。
これが四つ板仕様の仕事で通常の諸目表を使用して縁無し畳を作ります。江戸時代後半になり金持ちになった下町の庶民階級から生まれた仕事だそうで、四方向に板を入れて手間の掛かる高価な畳です。(さりげなく見栄をはる江戸っ子の心意気だったのではと我が家の三代目)半畳の市松模様にしたのは明治時代になり設計師の方の発案ではと推測しますが詳しい事は判りません。
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昔から職人の扱い方は関西と関東(東京だけかも)で大きく違っていました。関西では親方になれないのが職人になるとの考え方で、食事も親方が座敷で職人は板の間や土間で食べる風習だったようです。東京では座敷で親方も職人も同じ釜の飯を食べる風習でした。小僧や半人前の職人は土間や板の間の一段下がった場所で食事をする扱いで、早く一人前になって座敷で食事出来る腕前になれよ!と食事にも職人養成方法がありました。
昭和28年に作られた本を見せて頂きました。さすが東京、仕事の基本は確りと教えようとする職人文化が残っていたのだと感心しました。内容は仕事はもちろんですが、労働基本法からなんと英会話まで記載されていました。昭和30年代後半には畳製作教本の作成など東京の仕事に対するオープンな姿勢は、仕事が多くあり、宵越しの銭を持たなくても済んだ職人達の心意気の名残でしょうか。
畳のサイズは京間 (関西本間) が六尺三寸で一番大きな畳となっています。例外的に一枚物の大畳では規格外のサイズも在るようですが、建築で最大サイズは長さが六尺五寸巾が三尺二寸五分の畳が江戸城の上段の間と京都御所の二箇所に敷いていたようです。当然、柱間が広くなりますから建物自体が通常より大きいサイズの建物であったのではと推測します。
先日、読んだ本によると御所畳が一番大きな畳で他では無いような内容でしたが我が家の二代目が聞いた話では江戸城上段の間も六尺五寸で御所畳が使われていたようです。
江戸の町は徳川家康が京都の棟梁を呼び寄せ作らせたと言われてますが、畳のサイズからも納得できます。
畳針をお願いしている沢田畳道具製作所さんに、従来より細い5寸2分の返し針を試しに作って頂きました。予想以上に抜けの良い針となりましたが細くした分だけ折れや曲がりに注意が要るようです。関西の返し針5寸ならバランスが良い針になるかな?畳針は胴の太い部分と元の細さのバランスに鋼の質まで畳屋の好みが入り、針屋さんも大変です。個人的には折れ易くても抜けが良い針がイイですね。