2016年06月20日

国家総動員法と材料統制

NHKの朝ドラも昭和15年になりました。風俗考証もシナ事変以降の物資不足や材料統制で、庶民の生活が成り立たなくなっ来てますが、実際は配給も徐々に貧しくなり、もっと酷かったそうです。 
畳業界も一般の仕事は無くても、軍関係の仕事は有りました。当地では軍の指定工場があり、東京営業所所長に山口県に行けば仕事があると誘われて、我が家の三代目も昭和16年に当地に来ました。夜、厚狭駅に到着、灯火管制で薄暗い石炭で真っ黒の街並みに、都落ちの気分になったそうです。

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2016年01月14日

畳屋と兵隊検査

昔は畳屋として一人前の仕事が出来るようになるには、15年くらい掛かりました。戦前の日本男児には兵隊検査が義務でしたから、一人前になる前に兵役に就く事になり、今までの畳屋の狭い世界から軍隊で世間の常識などを教えられ兵役を終えて帰ると、親方からすると兵役以前の若い衆の扱いでは済まなくなり、仕事がそこそこ出来ても一人前とも扱えず、親方との軋轢が生まれる事もあり、扱いが難しい事があったようです。親方の仕事では満足出来ず他の畳屋に勉強に行く事も多かったようで、祖父の弟子は、ほとんどが、これだったようです。

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2015年09月28日

益田鈍翁と木村清兵衛

近代茶道は三井財閥大番頭の益田鈍翁が大功労者と言えると思います。日清、日露、第一次欧州戦争で財力を得たブルジョア階級に茶道が広まり、東京でも盛んに茶室が作られるようになりましたが、東京には益田さんのお眼鏡にかかる数寄屋大工がおらず、京都から御所出入りの数寄屋大工、木村清兵衛を呼んで多くの茶室が作られたようです。我が家の二代目が京都でも修業をしていた関係で、財界大物の茶室の仕事が入りました。
関東の茶室は数寄者のセンスが強調された数寄屋普請が在り、その後の和モダンの建築に進んで行ったと推測しますが、年数が飛び過ぎたかも?

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2015年07月17日

手織り引き通し機

P1020858.JPG手織りの引き通し表を織る機です。畳の巾分イグサを引き抜くのですから、竿を歪まないように抜く工夫が見られます。
備後、松永の、あしあとスクエア(昔の履物博物館)で見られます。

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2015年06月18日

手回しの機械

初期の製畳機は直径1メートルもあるハンドルを手で回して動かしました。非常に重労働で働く人は大変でした。手縫い床製作も重労働ですが、一日中ハンドルを廻しぱっなしの単調な重労働なのですから更に大変だったようで、我が家の叔父も弟子入りした店で早く、この仕事から解放される為に一生懸命ツケ仕事を覚えたそうです。
畳屋でも敬遠される仕事で、日韓併合で日本に来た半島出身者が、多くこの仕事に従事していたそうです。

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