2017年01月19日

当地の昔の板入れ畳

P1080947.JPG腰の抜けた江戸時代の筋縫い床に裏菰、横配いを並べ、肌菰を新しくして、締め直しをしました。厚みも1寸6分まで戻りました。この写真が昔の当地で作られていた板入畳の下こしらえです。板脇は入れません、毛ワラは取り除きません、クチゴザも入れませんでしたし、頭板の材質は杉か松で、桧は見られませんでした。この写真の頭板は桧の正目の頭板です。

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2016年12月06日

西川商店

近江商人の西川商店は、畳表や蚊帳などを扱う江戸時代からの老舗で、近江表を一手に扱っていたり、備後に出店があり備後表の歴史には欠かせない問屋さんで、畳の歴史には常に名前が上がる日本一の畳表問屋だったと言っても過言は無いと思います。
我が家の二代目の直が明治の中頃、西川商店が勧業博覧会に出展した掛け縫い手縫い床を見て、田舎で無い仕事に自分の腕の未熟さに衝撃を受け、修業の旅に出て大阪の伊藤さんや京都の野村さんなどを紹介して頂き、その後、東京にまで修業に行き、浅草で畳屋を開業する事が出来たのは西川商店の御蔭です。
三代目も西川商店の東京のお店に巾刺しを持ち込み、手の内が目乗りになる畳表を探したもんだと逸話を聞かされました。
戦時中、当地に来て以後はお付き合いが無くなりましたが、我が家にとっては大恩ある問屋さんでした。

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2016年06月20日

国家総動員法と材料統制

NHKの朝ドラも昭和15年になりました。風俗考証もシナ事変以降の物資不足や材料統制で、庶民の生活が成り立たなくなっ来てますが、実際は配給も徐々に貧しくなり、もっと酷かったそうです。 
畳業界も一般の仕事は無くても、軍関係の仕事は有りました。当地では軍の指定工場があり、東京営業所所長に山口県に行けば仕事があると誘われて、我が家の三代目も昭和16年に当地に来ました。夜、厚狭駅に到着、灯火管制で薄暗い石炭で真っ黒の街並みに、都落ちの気分になったそうです。

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2016年01月14日

畳屋と兵隊検査

昔は畳屋として一人前の仕事が出来るようになるには、15年くらい掛かりました。戦前の日本男児には兵隊検査が義務でしたから、一人前になる前に兵役に就く事になり、今までの畳屋の狭い世界から軍隊で世間の常識などを教えられ兵役を終えて帰ると、親方からすると兵役以前の若い衆の扱いでは済まなくなり、仕事がそこそこ出来ても一人前とも扱えず、親方との軋轢が生まれる事もあり、扱いが難しい事があったようです。親方の仕事では満足出来ず他の畳屋に勉強に行く事も多かったようで、祖父の弟子は、ほとんどが、これだったようです。

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2015年09月28日

益田鈍翁と木村清兵衛

近代茶道は三井財閥大番頭の益田鈍翁が大功労者と言えると思います。日清、日露、第一次欧州戦争で財力を得たブルジョア階級に茶道が広まり、東京でも盛んに茶室が作られるようになりましたが、東京には益田さんのお眼鏡にかかる数寄屋大工がおらず、京都から御所出入りの数寄屋大工、木村清兵衛を呼んで多くの茶室が作られたようです。我が家の二代目が京都でも修業をしていた関係で、財界大物の茶室の仕事が入りました。
関東の茶室は数寄者のセンスが強調された数寄屋普請が在り、その後の和モダンの建築に進んで行ったと推測しますが、年数が飛び過ぎたかも?

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