2018年11月22日

敷き込み鉤(しっこみかぎ)

DSCN3359.JPG畳を運んだり、部屋に敷き込む時に使う道具の敷き込み鉤です。畳道具の中では歴史の新しい物で、我が家の二代目が昭和13年に大阪の伯父に家に行った時に、「兄貴は怒るだろうけど、こんな便利な道具が出来たんだよ」と見せてもらったそうです。現在では当然のように使用している道具ですが、歴史の新しい道具です。逆に敷き針を使っている方、知っている方は少数派、、、いないかも、、、。

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2018年06月24日

岡山3号の中継ぎ表

DSCN2908.JPG昔の中継ぎ表は丈夫でした。でしたと言わなければ為らないほど、現在のイグサは弱い表皮になりました。中継ぎ表全盛の頃の品種、岡山3号のイグサが手に入ったので中継ぎ六配表を織りました。何処まで昔の擦れに強い表となったか?楽しみです。

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2017年09月19日

畳屋の好い時代

畳屋の良かった時代はいつ頃か、三代目に聞いた事がありました。
二代目の時代の大正から昭和初め頃は「二等車に載って熱海で組合総会をするなんて、好い時代になったもんだ」と言っていたそうです。関東大震災の復興景気で忙しい時代だったのでしょう。
三代目の時代は「畳材のスタイロフォーム購入して韓国旅行に行ったり、毎年の問屋さんの旅行で日本中を旅行するなど、畳屋も好い時代が来たな」と言っていた叔父との会話を思い出します。昭和40年代になり住宅ブームが始まり、それからの20年間が忙しかった分だけ、畳屋の好い時代だったと今になれば思われます。
逆に畳業界に悪い時代は、日中戦争が始まり国家総動員法から畳材料の統制で仕事が無くなり、戦争に負けて材料統制が昭和25年に廃止されるまでが、冬の時代だったと思われます。
平成時代は畳屋の店舗数が減ってます、最盛期の半数です。冬を通り越して氷河期に向かっているような気がします。

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2017年03月20日

手回しなら台湾が良い

昭和10年代の叔父の話です。
修業に入った畳屋さんも不景気の影響で仕事が少なくなり、親方から手回しの機械で床を作ってくれと言われて、重労働の手回しの機械を回すなら台湾の方が良いと、兄弟子と共に台湾に行きました。
ところが世の中、何処でも、甘くなかったようで、台湾では野添式の機械床が多く仕事は大変だった話とバナナが美味かった話で、終わりは何時も不味いバナナしか知らないお前らは気の毒だ!でした。

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2017年03月07日

御畳大工

昔の畳職人は床師、付け師が出来て始めて御畳大工と呼ばれたようで、御畳大工と呼ばれるには100畳!親方になるには1000畳!と言われたそうです。新畳の少なかった時代には無茶な数字ですが、戦前の東京では御畳大工と呼ばれる事を目標に修業したそうです。東京畳同業組合では昭和13年の競技会までツケ、トコの両方の競技が行われました。

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