2017年03月20日

手回しなら台湾が良い

昭和10年代の叔父の話です。
修業に入った畳屋さんも不景気の影響で仕事が少なくなり、親方から手回しの機械で床を作ってくれと言われて、重労働の手回しの機械を回すなら台湾の方が良いと、兄弟子と共に台湾に行きました。
ところが世の中、何処でも、甘くなかったようで、台湾では野添式の機械床が多く仕事は大変だった話とバナナが美味かった話で、終わりは何時も不味いバナナしか知らないお前らは気の毒だ!でした。

posted by 四代目 at 22:41| Comment(0) | 昔話

2017年03月07日

御畳大工

昔の畳職人は床師、付け師が出来て始めて御畳大工と呼ばれたようで、御畳大工と呼ばれるには100畳!親方になるには1000畳!と言われたそうです。新畳の少なかった時代には無茶な数字ですが、戦前の東京では御畳大工と呼ばれる事を目標に修業したそうです。東京畳同業組合では昭和13年の競技会までツケ、トコの両方の競技が行われました。

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2017年03月02日

実務経験15年の理由

畳の技能検定が始まった昭和30年代後半から長い間、1級技能士の技能検定を受ける実務経験は15年掛かりました。我が家の職人さんも実務経験が足らず2級を受験しました、俺のほうが1級の方より上手いのにと、たかが板入れ畳を作るのに15年も必要か?実務経験15年に疑問に持った職人さんが多くいました。
確かにツケ仕事だけで15年は長過ぎです。理由を推測すると当時の組合幹部の方々意見が、昔の一人前の上手な職人になるのは14才〜15才から丁稚奉公で始まって、ツケ仕事は裏返しの框巻きの手伝いから、手縫い床は棒縫い床の安物の手伝いで始まり、二十歳を過ぎて兵隊検査までには畳の仕事の殆んどは出来るようになっていました。手縫い床の掛け縫いを縫うとなるともう少し掛かり、30才前になってやっと縫わせて貰えたようで、この経験から1級技能士なら全て仕事出来る為に15年の実務経験となったのでしょう。確かに我が家の2代目の息の掛かった人が、当時の組合幹部でした。
平成になり実務経験が実情に合う様になりましたが、ツケ仕事レベルは私を含めて昔の職人さんの半分以下ですね! 恥ずかしながら、これが業界の現状です。

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2017年02月17日

飴色になる畳表

昔は備後表の銀白色が、長く使うと飴色に日焼け行きました。現在でも畳屋さんの一部の方は綺麗に焼けて飴色になります!と言われますが、何処の畳表が飴色になるのか?教えて欲しいものです。近年の畳表は綺麗に黄色に焼ける畳表は有りますが、昔の畳表のように艶がありません、白っぽい黄色かな?です。田圃の無機質が関係するのか?品種なのか?新しい品種の涼風は飴色に焼けるのかな?期待できそうな予感。

posted by 四代目 at 23:04| Comment(0) | 昔話

2017年01月26日

頭板の爪は取らない理由

P1080948.JPG昔から当地の板入れ畳は、頭板の爪取りは行いませんでした。詰め板も入れませんので、板鼻が少し下がります。
並品の畳ならこの程度で良かったのでしょう。が、仕事が甘いと言われる所以はこのあたりも原因ですね。

posted by 四代目 at 14:11| Comment(0) | 昔話