江戸時代あたりから全ての仕事が出来た親方になると御畳大工と言われたようです。戦前まで東京では実務経験15年、小僧で始まり兵隊検査までに付け仕事に手縫い床の筋縫い程度までの、仕事が出来るようになり兵隊から帰り掛け縫いを覚えて、自立して御畳大工になる! この目標で修行された畳屋は多かったようです。
親父からは、畳屋自体、たいそうな仕事じゃあるまいし!と聞いた記憶がありますが、、、祖父、あたりでは言っていたような気がする。
2022年05月18日
御畳大工
posted by 四代目 at 19:29| Comment(0)
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2022年03月03日
昔の糸が丈夫な訳
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2021年12月16日
畳差し
昔の畳職は畳差しと呼ばれ、畳職人の言葉の方が歴史的には新しいと思われます。畳職の仕事は畳床を縫う床師と畳表を縫い付ける付け師があり、全て覚えて一人前になるのに15年かかるとされてました。 兵隊検査が済んでも、まだ一人前扱いにはなれず30才頃になり、やっと独り立ち出来る業界だったようです。 手縫い床を作る職人がいなくなり、畳職の仕事と言えば付け仕事だけになったのに、なぜか戦後20年近く経って、技能検定が始まっても一級技能士を受験できる実務経験15年の理不尽な時代が何十年も続きました。 畳屋と呼ばれるのも江戸時代からのようで、それ以前は仕事の様で畳差し、とか畳刺し、畳指しと呼ばれていたようです。 現在は機械が無いと仕事が出来ないレベルの畳工でしょうか、、、、。
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2020年11月17日
戦前の競技会
この競技会が戦前最後の競技会だったようで以後、材料の統制から、戦争、戦後のドサクサと技術不毛の30年間に多くの手縫い床の技術者は消えました。
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2020年09月24日
皮縁
昭和13年に三代目が大阪は十三の伯父の店で、七島表に皮縁を付けた畳を見た時の話しです。皮縁を傷つけないように外し皮縁を水に浸し柔らかくして再度使用する作業法で、大阪の商家では七島表で縁無し畳にすると曲げた箇所が切れるので丈夫な皮縁を付けるんだ、と聞いて「大阪らしいケチ臭い仕事だな」と思ったそうで、「さすがに大阪の伯父さんの前じゃ言えなかったけどな!」と話しの落ち「色が落ちたら色を塗るそうで、こうなるとケチを通り越して吝嗇だぜ!」と二度落ちの話に、、、、。 厚みのある皮縁では綺麗な仕事にするのは難しかったでしょう。他の地域で皮縁を付ける話はあるのかな?
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