手縫いの時代は地域差は大きかったようで、明治時代の中頃に祖父が大阪と京都で修業をして東京に行った時に一生懸命,仕事して、やっと東京の一人役の仕事がこなせたそうで、東京は職人に楽をさせてくれないと感じたそうです。
畳の厚みも2寸仕上げなので関東包丁は大きくて長く、落としを一発で切り落とさないと艶が無い!と仕事を安く見られ、針も関西より2分は長く、逆にツケ糸は太く短いので、手さばきにも無駄をしない仕事が要求されました。頭板も厚みを削りまで喧しく言われ、職人は大変でしたが工賃は良かったようです。
【関西と関東の最新記事】